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病気ではない、かといって普通に生きられない話

きっかけ

中学三年、5月の9日辺りだったと記憶している。

わたしは、初めての自殺未遂をした。

当時わたしは生徒会に所属していたのだが、何せ人前で話すと声が震え、動悸はし、汗はかき、腹痛に襲われるような人間だ。生徒会なんて向いているはずがない。

なのに、わたしは選ばれた。真面目だからという理由で。

出たよ真面目、これだから真面目と言われ思われるのは嫌なんだ。ほら、良いことなんて一つもない。そもそもわたしは真面目「そう」に「見せかけている」だけで真面目のまの字すらない人間なんだ、見抜けよ、馬鹿野郎。

完全に人選ミスをしたな、と担任主任に呆れ返っていたわたしは、新入生歓迎会で生徒会役員一人一人委員会紹介をしなければならないという現実に直面して先程の無礼を死ぬほど後悔した。実際死のうとした。

馬鹿野郎って思ったのは謝るから許してくれこれだけは、と思ったけれど完全に手遅れである。これこそ天罰というものではないだろうか。

 

人前で発表するくらいなら、と図った自殺未遂。

前回の自殺未遂よりは本格的に頑張った気がする。

 

s1mzzz.hatenablog.com

 

ただ如何せん、その当時は今よりも知識が浅かった。何も用意せず、失敗のリスクも考えず、ただただ死に一直線に向かっていったわたし。

鉢巻をお馴染みベッドの柵に括って死のうとし、首をかけた。

 

苦しい。

苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい!!!!!!

 

非定型だったのですぐに苦しさからは開放されたが、死ぬのは大変難しく勇気がいることなんだとこの時初めて知ることとなる。首の鉢巻を取り呼吸をした瞬間、喉にひんやりとした空気が入り込んで咳のエンドレスリピート。首を吊った時よりもこの時の方が余程苦しい。ゲホゲホという噎せる声で親が起きてこないか心配だったが、杞憂に終わった。自殺も失敗に終わった。

 

首には、鉢巻で苦しんだ跡がくっきりと残っていた。

 

発表の日が迫っていた事も追い打ちをかけ、眠れない夜を過ごした。月が綺麗だったのははっきりと覚えている。月の光に晒されて、余計に死にたくなった。

明日が来なければどれだけ幸せだろうと、何度も思った。

 

翌日、朝。

何とか親や家族にこの跡がバレないように俯きながら家の中を歩いて準備。

当時5月とはいえ、まだまだ寒かったので部活のブレーカーを着用し、学校へ向かった。

しかし、教室に入ったらブレーカーは脱がなければならない。

中学生、セーラー服、首元は綺麗なラインを描いて空いている。

…覚悟を決めるしか無い。

教室には行かず、保健室へ入り保険医の先生に首をチラッと見せ、小さな声で「教室には行けないです」と言った。保険医は、すぐに理解してくれた。

登校してすぐだというのに、家へ連絡された。

きっと保険医は何をしたかを理解し、それを親へ伝えたのだろう。

めちゃくちゃに怒られた。

「何しようとしてたの!?」「何使ったの!?」

とか何とか言われたけれど、それに答える気力なんて自分には残っていなかった。

後々、女親と担任主任が話し合って、発表の件は配慮するという形になったそうだが、結局わたしは何度も発表せざるを得なかった為、無意味な話し合いだったと心から思う。

というか、精神科勧められた。

まぁ当たり前か、自殺未遂するなんて相当だもんね。担任も学校も、何も助けてはくれなかった。大丈夫か、の声すら掛けてもらえなかった。悲しかった。腕を切った。

 

 

 

 

はじめての診療内科

学校からも通院を勧められたわたしが初めて行った診療内科では、こういう症状が出ていて、それを抑えるためにこの薬を出します、くらいの説明しかされなかった。

 

精神科や診療内科へ行った時、病名を告げられなかったという経験をした人は少なくないのでは、と思った。

精神の問題は、身体とは違って検査結果が明確に数値化されることもない、日によって症状も違う、精神に影響する薬を処方する等様々な理由で病名を判断するのは難しく、慎重に行わなければいけないらしい。

 はじめに行った病院は、薬物療法が中心らしく、物凄い量の薬を出された。

お陰様で毎日生気のない顔をして学校に通う羽目になる。当時の記憶は曖昧で、特に病院へ通っていた時期の記憶は言われてようやく思い出せるか出せないかだと思う。

 

これでは駄目だと見兼ねたのか、気付けば転院していた。

そこが今も通っている診療内科なのだが、ここにはカウンセラーが居て、カウンセリング+必要であれば薬も利用する、といった治療方針らしい。ちなみにこのカウンセラー、わたしが通っていた全日制のスクールカウンセラーでもあった。

 

この時わたしはもう既に高校一年である。ピカピカの一年生。

面接練習、マジで苦しかったなぁ。あんなに苦しい思いして受験勉強も頑張って受かった高校なのにさっさとやめちまったぜ。笑えない。

 

何はともあれ転院し、そこで診断されたのが「適応障害」。

学校が嫌で怖くて心身ともに影響が出ているのは今も変わらないんだけど、今は適応障害って診断はないのかな。

薬とカウンセリングで、一年の二学期辺りまでは何とか持ち直して学校生活をそれなりに過ごしていたと思う。

 

 

 

 

その後

今も同じ診療内科に通っているが、正直不信感があることは否めない。

言われてきた病気としては、解離性障害過敏性腸症候群、身体醜形恐怖症、回避性人格障害、この辺りであろう。

しかし今月の通院ではっきり言われたのである。

 

「mgさんは病気ではありません。ただ、落ち込みから回復するのが遅いだけです。薬も必要ないんじゃないですか?」

 

は?

 

いやいやいやいやちょっと待って、おかしい、おかしい。

何がおかしいかって、じゃあ今までの言葉は何だったんだ?今まで飲んでた薬は何の意味があったんだ?

わたしは今でさえ減ったものの、幻聴、幻覚の症状が出ていた。それらを友人だと思い込み、楽しく幻聴さん幻覚さんとお話していた。

今考えたら相当キていたんだろうけれど、それでさえ「現実に友人がいないから幻聴や幻覚を友人と思い込むんだね」なんて言われる始末。

殺そうと思った。殺意しかなかった。

リアリティのありすぎる夢のお陰で現実との区別が付かなかったり、記憶に無いうちに自傷行為をしたり、自分の後ろ姿を眺めているような、自分が自分でない感覚に襲われたり、それも全部病気ではなく落ち込んだからこうなるってだけなのか。そうか。わたしは病気じゃないんだ。

此処まで言うと病名がほしい人、のように思われるかもしれないが、これら全ての症状を全て打ち明けた上で「これは性格です」と言われているようなもの、どれだけ苦しいか、理解者はいないと絶望したか。家族にでさえ、理解されない苦しみ。

わたしは結果精神病ではないらしいが、だからといって当たり前のことを当たり前にやったり、皆んなと足並み揃えて人生を歩くことが出来ない。

これも性格、わたしのせい。

 

 

わたしは精神病ではない。孤独である。寂しいね。