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自省の話

病院へ行ってきた。

今日の記事は、コラムでも体験談でも過去話でもない、ただの日記だ。

 

 

 

カウンセリングを受け、「今は卒業することを一番の目標にしよう」と言われた。

今のわたしは、捻くれているのか気持ちが落ちているのか、はたまた他に原因があるのか定かではないけれど、その卒業の未来ですら見えないわたしにこれ以上何を頑張れと言うんだ、と思ってしまった。

 

ああやっぱりわたしの頑張りが足りないんだ、わたしのせいだ、と。

 

確かに今回試験を受けることで、来年度も高校生で居ることはなくなる。しかし、仮に試験を終えたとして、その後にもスクーリングが今まで通りあることは変わらないし、後期試験だってあるし、今の頑張りが第一歩だと言われてもその一歩の後が真っ暗なのである。

今一番頑張らなければならないこと、それだけに目を向けてどんどん迫ってくる未来は後回しにする。そんなやり方、何をしてもどう頑張っても出来ない。

完全に、負の思考のスパイラルだ。抜け出せない。

 

そしてまたまたカウンセラーには「この先mgさんには結婚したり、就職したり、明るい未来が絶対に待っている」と言われた。

ドン引きだ。

死にたい、と言えばそうなんだ、で終わるくせに、そんな明るい未来?とかいう不確かなものを出されても、「そんな訳ねぇだろ現実見ろ」としか言えないのだ。無論、言わなかったが。

例えばここでわたしがその言葉に感動し泣いたとしよう。それで何が解決する?カウンセラーの言葉に救われました、わたし頑張って生きます、と思ったとして。そして全うな人生を歩む―――こんな結末を期待していたのか?

わたしの死にたいは根が深い。自分でも分かっている、自分のことはよく分かっている。この死にたさと何年付き合ってきたと思っているんだ。

何だか、何年もお世話になってきたカウンセラーだけれど、この人とはもう話したくないな、と思った。

わたしの理解者は誰もいない、わたしが悪い、わたしの考え方に問題がある、わたしさえいなければ。こうしてどんどん誰にも言えずTwitterで見知らぬ誰かへ向けて発信して生きていって誰も知らないうちに死んでいくんだろうなぁと悟った。

心のなかで思う「つらい」を文字に起こすと、途端に陳腐なものになる。

どうしようもなくなり、自分の中だけでは処理できない感情をTwitterで「つらい」とたった一言。それだけで、このつらさは何とありふれた言葉になってしまうのだろう。

「つらい」で検索をかけると、

「テスト赤点とってつらい」「彼氏に振られてつらい」「推しが尊すぎてつらい」

こういった具合に、様々な人間の様々なつらいが一気に流れ込んでくる。この沢山のつらさに紛れ込んだわたしのつらさなど、例えこの感情が最後のSOSだとしても、一般的なものになり、誰とでも同じようなつらいになり、誰もこのSOSを受け取ることは出来ないのだと、こんな当たり前の事実に今さら気付き絶望している。

どんなに崇高な考えを持っていても、言葉にした途端薄れる。思いは思うからこそ尊重されるのだ。言葉にした思いなど、意味がない。このブログも、Twitterも、何もかも意味がない。

閑話休題

とにかく病気でも何でもなく、ただわたしが捻くれたクソ野郎なのだろう。だからこそ、治しようがないし薬だって効かない、必要ない。

わたしが変わるしかないんだ、こんな性格治さない限り幸せにはなれない。

そう、言われた気がした。きっとそんなことはないのだろうが、匙を投げられているのは雰囲気で分かる。今まで頑張らざるを得なかった空気読むというスキルが良いのか悪いのか功を奏してしまった。

 

わたしが思っていることは、所詮誰しもが思っていることなのだろう。特別でも病的でも何でもないのだ。わたしは、わたしが思っているより普通で何処にでも居る人間だ。

普通で、当たり前で、なんでもなくて。

そう、わたしは本当になんでもないんだ。

病気でもない。この苦しさは、自分で自分を苦しめているだけ。それを病気と捉えるかもっと苦しめないと社会でやっていけないと考えるかは個々の自由だが、とにかく今回のことで自覚した。

 

全部わたしのせいだ、と。

 

 

 

自殺しようと思った。

自分でも何度目だろうか、と思った。きっとどうせ死なないのだろう、お前は弱虫だからな、自殺する勇気すらないんだもんな、と頭の中でわたしがわたしを責める。

ごめんなさい。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。

わたしが生まれてきたのが悪かった。わたしが生まれてこなかったら、お金がかかることも苦労することもなかった。

親のクローゼットからコンドームを見つけた。

あの日からわたしは望まれなかった子なのではないか、という考えがこびりついて離れてくれない。どれだけ優しくされても、ご飯を作ってもらって、欲しいものを買ってもらっても、考えは消えない。

情けなのではないか、とすら思える。

いっそ「ごめんね、お前は元々生むつもりがなかったんだ。でも生まなきゃいけない状況になってしまったんだ、ごめんね」とでも言われたら何も考えず死ねるのになあ。

中途半端に期待し、一気に崩れ落ち、また期待し、その繰り返しだ。

家族も友人も恋愛の関係も何もかも、わたしの人生は過度な期待と勝手に裏切られたと感じる気持ちで出来ている。

迷惑極まりない。

わたしがもしmgという人物が自分の子どもだったら、殺していると思う。

こんなに尽くしているのに、愛されているのに、どうして自覚しようとしないんだと。きっと、誰もがそう思っている。

わたしはわたしの嫌いな人間になってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

死にたい。死なせてくれ。