0mg

「死にたい」と言ったら怒られた話

どうも、こんにちは。0mgです。

きっとこの記事を読んで下さる方の中には「死にたい」で検索した方もいらっしゃると思います。

 

死にたい。

 

誰しも一度は思ったことがあるのではないでしょうか。

もし、一度もないという方は今後も死にたいなんて思わずにしあわせに生きて欲しいものです。

 

死にたい。

希死念慮、とも言います。

具体的な策を考え検索し準備をしている方も居れば、リストカットオーバードーズなどでなんとか凌いでいる方も居ますでしょう。

しかしこの死にたいからはどうやっても逃れられない。

 

苦しいです。とても。

 

何をしても、何処に居ても死にたいと思ってしまう。

 

わたしは今自動車学校へ通っているのですが、この死にたいのお陰で運転練習の時わざとアクセルを踏んでしまうのではないかという予期不安でなかなか行けていません。

死にたいのに死ぬのが怖い。矛盾しているでしょうか。

 

 

本題へ入ります。

わたしはこれまで約7年間は「死にたい」と思い続けてきましたが、一度だけ親にその言葉を発したことがあります。

オーバードーズし、救急外来で運ばれ点滴を受け、医者に「どうしてこんなことをしたんですか?」と聞かれた時。

当たり前ですが死にたいからですよね。

だから「死にたかったからです」とはっきり答えました。朦朧とした意識の中で、そこだけは鮮明に覚えています。

 

その後、家に帰ってから母親に怒られました。

 

「まだ若いのに」

「死にたいなんて」

 

確かこのような言葉だったと思います。

 

若ければ必ず生きたいと思えるのか?

そう、思いました。

 

死にたいという言葉はあまり使ってはいけない言葉なのだと思います。

特に大切な人の前では尚更。悲しませてしまう。

でも、大切な人だからこそ、知ってほしい。

この苦しみを、死にたいと思うほどつらいということを。

これって我儘でしょうか。

 

わたしは例え大切な人から死にたいと言われても、きちんと話を聞いて死なないで欲しいという勝手なお願いをすると思います。決して怒ることはありません。

寧ろ怒ったら逆効果な気がします。

「ああこの人はわたしのことを理解してくれないんだ。もうこの人にこの手の話を話すのはやめよう」

そう思います。わたしなら。

 

ただただそうなんだ、つらいねって、聞いてくれるだけでいいんです。

アドバイスも何も必要ありません。

ましてや怒ったり感情的になられたら余計に死にたくなります。

 

簡単には言ってはいけない言葉だけれど、打ち明けるということはその人への信頼感が大きいからだと思うんです。

 

だからどうか、死にたいと言われても感情的になったり怒ったりしないでください。

聞いている側は苦しいかもしれませんが、話って聞いてもらったら案外スッキリすることもあるでしょうし、ただ聞くだけでいいんです。どうかお願いします。

 

 

 

今回は簡略なブログになってしまいましたが、死にたい気持ちを抱えて生きる人達が少しでも吐き出せる人や場所があればいいな、聞く側も怒ったりせずに聞いてほしいな、という思いで突発的に書きましたのでご容赦ください。

 

 

わたしのTwitterでもブログのコメントでも、死にたいという気持ちを吐き出す場所に使っても良いので、どうか少しでも長く生きてくださればわたしもしあわせです。

 

 

 

皆様の苦しみが少しでもなくなりますよう。

いずれまた更新します、それまでにわたしも生きていけたら良いと思っています。

 

読んでくださり、ありがとうございました。
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